佐土原町は昔から日向国(現在の宮崎県)の中心地として栄えたこともあり、数々の神社や遺跡が残っている地域です。
 よって、佐土原独特の歴史や文化が長年にわたって培われてきました。
 現在では、県が中心となって『ひむか神話街道』の整備を行い、佐土原町は歴史のある街として、いっそう存在感を強めてきました。
 全国レベルの知名度はありませんが、独特な佐土原の歴史に触れてみるのも良いかもしれません。




 久峰観音は、佐土原高校から非常に近い山の上に位置しています。
敏達天皇の時代(572〜585年)に日羅上人が勅命により立てられ、和泉式部の奉納した古鏡を今に伝える寺として伝えられています。
 火事などで移築されることもありましたが、現在も観光名所として残っています。
 近くには公園が整備され、佐土原町民の憩いの場になっています。


 佐土原町西部の佐土原地区の山奥に位置する巨田神社は天太王命(あめのふとだまのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)を祭っています。
 宮崎県ではただ一つの室町時代の建築様式を採用し、木には朱が施され、軒間にもみどりに塗られて、美しい色彩を放っています。
 また、近くの巨田池には「越網」という独特な鴨の狩猟があり、猟法は鴨が夕方、巨田池からえさを求めて丘陵を越えるとき、また朝、池に帰って来る短時間に、Y字型をした竹と木に網を張った用具を投げ上げ、通過する鴨を狙うもので現在も狩猟期間のみ行っています。
 日本では石川県と種子島にしかこの猟法は残っていませんが、この猟法で獲れた天然鴨はおいしいらしいです。


 佐土原地区にあり、「さのはるじんじゃ」といいます。
 ここで神武天皇が生まれたと伝えられています。中世にはこの聖地に日向に強い勢力を持っていた伊東氏が佐野原神社を創建しお祀りしました。昭和32年には佐野原聖地保存会が結成されています。
 一説によると、「佐土原」という地名も佐野原神社が語源ではないかと言われています。
 毎年秋にある例祭では町長、町議会議長をはじめ有志の人々が参列して盛大に行われ続けています。


 佐土原地区にある佐土原城跡は、伊東氏が拠点としており、佐土原は日向の城下町として賑わいました。
 後の発掘調査などで、天守閣や金箔の瓦などが使われていたことも明らかになり、かなりの城だったことがわかりました。
 佐土原城は1度も落ちたことがなかったので、城下町は安定した発展を遂げたということです。


 佐土原町の北部にある大光寺は臨済宗の寺で、正式名称を『妙心寺派仏日山金地大光自国禅寺』といい、建武2年(1335年)に創建されました。
 保存されている仏像は、国指定の重要文化財が1体に指定され、もう1体は県指定文化財に指定されています。
 江戸時代には第42世として地元で生まれた古月禅師が入寺。  古月禅師は東の白隠、西の古月と称されるほど高名な禅師であり、大光寺は更に発展することになります。
 大光寺に残る古文書は、古月禅師などの手で大切に保管されるようになり今でも重要な歴史資料として保管されています。


 江戸時代に、隣の薩摩藩の重要な材木を積み込んで出帆した宰領の河越久兵衛、河越太兵衛、成田小左衛門の3人は13人の水主を指揮して航海中、暴風雨に遭い、船頭は荷物を捨てるよう進言しました。13人の乗組員を助けるため、宰領の3人は材木を捨てさせ、無事嵐を抜けます。その後、責任を取って3人の宰領は割腹して果てました。これを見た船頭権三郎以下13人もこれに殉じて果てました。藩のため部下のため殉じた3人の宰領と、その義侠心を見てこれに殉じた13人の水主は、十六烈士の墓として祀られています。