パターン認識の話

瀧山龍三 

1.  はじめに

現今の情報技術(IT)や高度情報化社会の特質を考えるときに、“パターン認識”と言うものを考慮に入れると分かり易いことが沢山あります。この章ではパターン認識とは何か、そしてそれが現今のITとどのように関わるのかをごく簡単にお話します。それによって今後のITのより良い発展の方向性も示せるのではないかと思っています。あまり厳密な話ではありません。

 

2.  パターン認識技術の進歩

情報技術の分野で“パターン認識”という言葉が盛んに使われ始めたのは、1960年代初頭からです。計算機がその実用化に成功し、主として科学技術計算の分野で威力を発揮し始めた頃です。これに刺激されて、計算機はパターン認識にも強い力を発揮するだろうと当時の人達は夢を抱いたのです。

 しかしこれが当初思っていたようには上手く行きませんでした。勿論研究者・技術者の懸命の努力で、パターン認識の1種と呼べるものは、様々に開発され進歩してきました。私たちの身の回りにも沢山あります。例えば郵便番号読取装置、指紋判定機、光学文字読取装置、音声認識装置などはかなり早くから開発が進み、現在かなりの段階まで行っています。そして社会のいろんな所で利用されています。その他産業用あるいはセキュリティー技術をはじめとして、いわゆる“認識技術”は着実に進歩し、その応用を拡げています。これらはITの重要な一面であると言えます。

 しかしながらこれらは人間が日常当たり前に行なっているパターン認識のごくごく一部のあるいは初歩的なものでしかありません。人間のパターン認識(能力)とは一体何なのでしょう。そしてそれはどのような機能や能力に支えられて発揮されているのでしょう。

 

3.  直感的思考

現在発達している計算機は論理計算を行なうものです。論理的に矛盾の無い手順が与えられさえすれば、これを高速に正確に実行し答えを出します。人間も論理型の計算を行ないますが、文字通りの論理計算の速度や正確さにおいては到底計算機にはかないません。人間の思考法が必ずしもそのようにはなっていないからです。計算機が行なうような思考法を論理型と呼びましょう。これに対する思考法を直感型と呼ぶことにしましょう。人間は論理型の思考も行ないますし、そしてそれはきわめて大切ですが、計算機には無くて人間にあるもの、これがここで言う直感的思考です。

 わたし達は直感的にある事柄が分かると言います。あるいは直感によって行動を決定 

すると言います。人間の行動にはこういった直感と言うものがきわめて重要な働きをしていますが、ここでは直感型の思考法をもっと広くとらえて、論理型とは言えない思考法と言うぐらいに考えておきましょう。

 人間は直感的思考法を実に巧みに用いています。反射的なとっさの判断もそうですが、問題を考え詰めているうちにパッとひらめいて解決に向かうこともあります。当てずっぽうにやっているうちに、ウンこれはうまいかも知れないと思って、そこから推論していって解答が得られることもあります。このような行為を人間に行なわせる、基礎となる機能は、人間の学習、記憶、連想能力等といったものがベースになっています。つまり思考の中枢は脳である、脳による情報処理が人間の情報処理を当然ながら特徴づけているのです。このような諸々の機能が総合されて発揮されたものが、パターン認識と呼ばれるものです。

 

4.  パターン認識とは

それではパターン認識とは何かと言うことを、もう少し説明しましょう。まずパターンとは何かということです。日常わたし達はパターンと言う言葉を様々な場面で使います。わたし達は文字を読んだり、言葉を聞いてそれを処理して判断や行動を行ないます。これは人間のパターン認識の典型的な例です。つまり文字や音声はパターンです。もっと広く目に入って来るもの――現実に見える木や人の顔や机や犬などもパターンです。ステーキの匂い、ニンニクの臭いもパターンです。チョコレートの甘さ、ラーメンのスープの味もパターンです。松の木の肌のザラザラもシャム猫の柔らかな手触りもパターンです。既にお分かりのように視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚と呼ばれる五感はすべてパターンと呼ぶことが出来ます。つまり見分ける、聞き分ける、嗅ぎ分ける・・・ことが出来るものはすべてパターンというわけです。

 ではパターン認識つまりパターンを“認識する”とはどういうことでしょう。認識論そのものは哲学的対象として古くから――プラトン、アリストテレスの時代から――扱われてきたものです。ここではそのような基本的でかつ困難な問題はさておいて、機械によるパターン認識を意識して、パターン認識問題を形式化しておきましょう。

 先に文字はパターンであると言いました。そのうち平仮名の「あ」を考えてみましょう。「あ」と書かれた文字はそれこそ無数にあります。「あ」と読むことの出来る文字の一つ一つをパターン信号と呼びます。起こりうるすべてのパターン信号の集合をパターンのクラスと呼びます。「あ」という文字図形の集合、「い」という文字図形の集合、更には音声の集合、顔画像の集合等々はすべてパターンクラスの例です。

 パターン認識とはあるパターン信号が示されたとき、それがどのクラスに属するかを決定することです。通常はパターンが決定されるべきパターンクラスの数は有限個です。

常用漢字だと1945クラス、アルファベットだと26クラスといった具合です。繰り返しますが、ここでのパターン認識とは、パターン信号が与えられたとき、それがどのパターンクラスのものかを識別決定することです。かなり限定的な割り切った言い方をしましたが、このようにしても人間のパターン認識能力の素晴しさを説明するのにさして差し支えはありません。自分の日常の行動を考えて、様々な例を見つけてみて下さい。

 

5.  すべてはパターン認識?

実際パターン認識の例は枚挙に暇ありません。前に挙げた例では視覚など五官から直接入ってくるパターン信号でしたが、天気図からの気象予測、患者の検査データからの医療診断などもパターン認識の例です。気象に関するデータや検査データがパターン信号であり、天候や病名がパターンクラスです。このような例は機械によるパターン認識が比較的易しいもの(といってもかなり難問)ですが、人間の日常の営みを考えてみると,どのような行動もパターン認識そのもの、あるいはその基本にパターン認識があると言っても過言ではありません。

 人間は一見いともたやすくパターン認識を行なっているように見えます。これに関わる機能として生まれながらに持っているものも有りますが(先天的)、生後母親や周りの人達から繰り返し教えられるモノ・コトを手懸りにして、わたし達の学習・記憶・連想・抽象・汎化能力等が発達し(後天的)巧妙に働いているのです。これらの能力を支配しているのは言うまでも無く脳です。人間は脳を進化させることによって様々な情報処理を行い、逆に言えば人間の情報処理は脳の情報処理に都合の良いものとなっているのです。

 脳による情報処理はもう少し細かく言えば神経細胞(ニューロン)のネットワークに支えられています。ある試算によれば人間の脳には百億個から千億個ぐらいのニューロンがあると言われています。脳の情報処理は、分散型・並列型の処理が中心であり(勿論直列的な処理もありますが)、直観的思考に都合の良いように出来上がっているのです。ここが計算機と根本的に異なる点です。計算機は基本的には直列処理によって論理演算を行なうものですから、飛躍することや大体のところで落ち着くということをしません

 

6.  むすび

そろそろ終りにしましょう。話は飛びますが、将棋を指すというのもパターン認識の例です。羽生さんや谷川さんのような名人は、各局面で組み合わせ論的に数多くある手の中からそれぞれの価値判断に基づいて、極めて限られた数の“場合”のみを直感的に選択し、それらを素早く比較検討するのだそうです。ところでゲームの中でもチェスは計算機プログラムが随分進んでいるもので、世界一の名人と争うまでになっています。計算機の“チカラワザ”も大したものです。

 またまた飛びますが、往年の将棋の名人であった升田幸三さんは、空を飛んでいる鳥の数を言い当てるのが上手かったそうです。人に聞かれると「君たちは鳥を目で追って数えているのだろう。俺はパッと見て頭の中に焼き付けるんだ。その後ゆっくり数えるのサ」とウソブイタそうです。人間のパターン認識の素晴しさを伝えるエピソードと言えるでしょう。

駆け足で“パターン認識の話”をしました。このような話に少しでも興味のある方は次に掲る本を是非手に取ってみて下さい。古い本もありますが、内容は古くありません。

1.渡辺 慧“認識とパタン”岩波新書、岩波書店(1978).

2.飯島泰蔵“パターン認識”工業技術ライブラリー8、日刊工業新聞社(1969).

3.甘利俊一“ニューロコンピューター”読売科学選書37、読売新聞社(1991).

4.久保田 競“脳を探検する”講談社(1998). 

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